心のことに全く興味を持っていなかったわたしが、メンタルケアを重視しはじめたわけ。

今でこそ、

 

カラダとココロが連動しているから

体調を整えたいなら、

メンタルケアが大切であること

 

がわたしの中では常識になっていますが、

はじめからそう思っていたわけではありませんでした。

 

看護師になる過程で、

「心理学」はたしかにカリキュラムにありましたが、

 

当時は、あまり興味を持っていませんでした。

というのも、その当時は、

(自称)コミュニケーション能力が高いと思っていたので、

「苦労したから、きちんとわかりたい」という熱烈な動機はありませんでした。

 

それに、今の日本の医療現場での常識として、

体は体。心は心。

と分けて考えられているところがあるので、 

どうしても体のことだけに関心が向いてしまっていました。

 

訴えの多い患者さんには、「細やかだなあ」とか、

一緒に働きにくい同僚には、「あの人がこうだから」とか、

自分がイライラする原因や働きにくいことを、

自分ではない外側にあると思い込んで、

 

 

ストレスを家に持ち帰ったり、

人と会うことで発散させていたりしました。

 

 

そんな対処方法でうまくまわらなくなったのは、

自分の夫婦関係が危機にさらされた時でした。

 

 

はじめはこれまでと同じように、

自分の夫婦関係がうまくいかないのは、

自分ではない外側(つまり夫)に原因があると思っていました。

 

 

夫がこうだから、

子どもたちがこうだから、

わたしがイライラさせられる。。。。

 

 

出来事や湧いてくる感情に対して、

「イライラさせられる」と、

まるで被害者のようにも感じていました。

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このときまでは、

仕事でミスをして振り返るときに、

自分の性格的な特徴について考えることはありましたが、 

 

自分がどう感じ、何を考えているか、

客観的に自分のことをみてみることはありませんでした。

 

これは普段、無意識で行われていることなので、

よっぽど注意を向けないとわからないことでした。

 

そして、自分一人では絶対にわからなかった。

 

自分のことを鏡として見せてくれる人が周りにいることで、

初めて自分のことがわかるという仕組みになっていたことを理解しました。

 

心のことや、人間関係の仕組みを学ぶことで初めて、

自分のことを振り返る機会を得ました。

 

看護師を10年やるころにはじめて、、、

 

 

イタイ、わたし。

 

 

その過程では

苦しいこともありました。

認めたくないこともたくさんありました。

 

 

でも、でも、

そんな時を経て。

 

 

いまは、自分について、人について、

わかるようになってきました。

 

自分のことがわかった分だけ、

人のことも理解できるようになりました。

 

前には、理解できなかった夫の言動が、

前には、理解できなかった子どもの行動が、

前には、理解できなかった、患者さんの言動が、

前には、理解できなかったドクターの人となりが、

 

前とは違って見えるようになりました。

 

夫が、子どもたちが、患者さんが、同僚が変わったのではありません。

 

自分の感じ方が変わったのです。

 

ほんのそれだけのことなのに、

大げさに言えば、世界が変わったように感じる。

 

本当に、不思議です。

 

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「看護のお仕事」は、感情労働と言われてます。

人が相手になるので、本当に疲れちゃいます。

 

患者さんに寄り添うーだなんて、

自分がイライラしている時には難しい注文です。

 

でも、自分がどんな時にイライラを感じるのか、

そもそも、なんでイライラを感じるのか、

その時に、ココロは、カラダはどう反応しているのか、

 

そんなことをわかっていたとしたら、

 

自分がイライラすることも少なくなるし、

患者さんに寄り添うこともできるのです。

 

自分自身を理解することが、

いい看護への一番の近道。

 

今の医療従事者あるあるとして、

自分を一番後回しにしている人が多いし、

ココロの健康もカラダの健康も自己責任的な風潮に

危機感を覚えます。

 

自分を優先させることが、

結果的に患者さんのためにも、

家族のためにもなるのです。

 

自分の経験から、

そんなことを感じています。